ネタバレありの映画鑑賞記録です。ネタバレの嫌いな方はご注意下さい。
映画が中心ですが、一部演劇、ミュージカルもあります。

スターウォーズ・エピソード3
先週行きそびれた、スターウォーズ・エピソード3の先行上映に行ってきた(^^)

#ストーリー(公式HPより)


クローン戦争の3年後、ジェダイの騎士団はいまだクローン兵を率いて銀河を奔走していた。分離主義者との戦闘が続いていたのである。そして邪悪なシスが1000年にもわたって企ててきた銀河系征服の陰謀が明らかになった時、共和国軍は崩壊し悪の皇帝が出現してしまう。ジェダイの英雄アナキン・スカイウォーカーはフォースのダーク・サイドに魅了され、皇帝に服従を誓う―ダース・ベイダーとして−。ジェダイは滅ぼされ、オビ=ワン・ケノービとジェダイ・マスターのヨーダは潜伏を余儀なくされる。ここに至り、銀河でたった一つの望みは、アナキンが密かに残した子孫である双子の兄妹のみとなってしまう。この兄妹がルーク・スカイウォーカーとプリンセス・レイア・オーガナとして育っていくこととなるのである。




話は、誘拐された元老院議長をジェダイが救出するシーンから始まる。
そして、程なく救出。
相手方も、ジェダイによる救出は予測している模様。
のっけから、ライトセーバーを使った戦闘シーン満載。
テレビCMでも放映されている予告編では、ジェダイが元老院議長に不信感抱いている。
このあたりが原因?と思いながら観始めた。

今回のテーマは、アナキンのパドメへの愛。
いや、本来はアナキンのダース・ベイダーへのプロローグ。
プロローグというのは序章という意味だから、正確な言い回しではないけどね。。。(^^;
でも、序章という感じなのよね。。。
でも、ダース・ベイダーになる過程の説明が充分でないというか。。。
勿論、それなりには説明はあるよ。
でも、ダース・ベイダーになる過程をメインストーリーとするなら、ちょっと不満。。。

でも、ある一瞬までジェダイだった。
暗黒面にある力にすがりたい気持ちを持ちながら、ある一瞬まではそれを抑えられるジェダイだった。
それがある一瞬を境に、突然変心してしまう。
迷いがあったとしても、その突然の変心にはなんのきっかけもない。
その心の動きが感じられない。
多くの人が先々行上映で感じた物足りなさってそこなんだろうなと思う。


まだ先行上映の段階だから、ネタバレは迷惑だよね。。。
でも、これって6作品中の3作品目。
4作品以降を知っている人は、既にネタを知っているといっていい。
ネタレス(?)な作品と言えるのかもしれないなぁ。
それでも、ネタバレはイヤという方は以降は読まないでくださいね。
というわけで、以下、ネタバレあり。



元老院議長を救出したアナキンは、パドメが妊娠した事を知る。
そして、アナキンはパドメが出産で死ぬ夢を見るようになる。
母のシミが亡くなった時も、アナキンは(予知)夢に苦しめられた。
暫くして元老院議長に、ジェダイ評議会のメンバーに推薦される。
評議会では、元老院議長の思惑に不信を持ち、アナキンを評議会メンバーにはするがマスターにはしない。
アナキンは、マスターになれない事で自分が評価されていないと不満と不信を持つ。
10年前(前作)で、評議会がアナキンに感じたアナキンの将来への不安がまだここでも生きているらしい。

でもねぇ。。。
アナキンも不満を持つのもいいけどね。。。
自分だってジェダイのルールを犯していない?
確か、ジェダイは結婚してはいけないんじゃなかったっけ?
ルールを自ら犯している人は、人の指導者になってはいかんよ。。。(笑)

能力に優れるアナキンは、元老院議長がシスであることを知る。
パドメが死ぬ事を知りそれを救えるのは暗黒面の力を得たものだけだという議長。
パドメを救いたいという気持ちを持ちながら、議長がシスである事をジェダイ評議会に報告するあたりまでは、アナキンもまだジェダイの騎士だった。
そして、メイス・ウィンドゥが元老院議長と戦う場面でもまだジェダイだったように見えた。
。。。
なのに、その一瞬の後、アナキンは暗黒面に落ちた。
何で?
アナキンの夢を知っていた元老院議長を不信に思ったなら、その夢もシスに見せられたものと感じなかったのだろか?
シスに疑いを感じなかったのだろうか?
その辺の葛藤がもう少し描かれていたら、もっと楽しめたと思う。

結局、大きなお腹を抱えて、アナキンのために無茶をしたパドメは出産と共に死んでしまう。
これって、アナキンが殺したようなもの。
パドメはアナキンに絶望して生きる気力を無くてしまったのだからね。
アナキンは、「亡くなった」という事実しか知らず、それが自分の責任だとも思わず、オビ=ワンを憎む。
10年以上も一緒に修行をしてきた師であり、兄弟をそんなに簡単に憎む事ができるのか?
いや、オビ=ワンに「憎む」と言ったのはパドメが死んだと知る前。
何をきっかけに、それほどまでにオビ=ワンを憎むようになったのか、その経緯がわからない。
なんだかちょっと物足りなかったな。。。

アナキンの父親がダレなのかが判ればもっとよかったかも。
って、多分アナキンの父親は実はシスなんだよね。。。
だとしたら、いや、シスとの会話からそれをアナキンも感じていたとしたら、一瞬の変心も理解できものなのかもしれない。


まぁ、ほぼ満足(笑)
最後のアナキンとオビ=ワンの師弟対決は一見の価値あり。

それにしても、ヨーダって良く動くよね。。。
前作で、900歳を超えていたと思ったけど。。。

ところで、劇場入り口にダース・シディアス=議長と書いてあるパネルが張ってあったけど、フライングでは?

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    スキャンダル
    “スキャンダル”を見て来た。
    某所で、“スキャンダル”を見たがるのは“オバサン”ばかりと言う書き込みがあったのだけど、めげずに行ってきました。
    って、私が“オバサン”そのものって事。。。(^_^;)

    面白かった。良かった。
    勿論、最初はヨン様目当てだった。
    とは言え、冬ソナを見ていない私には、ヨン様の魅力は解らない。
    “そんなに人気があるな観てみようかな。。。”なんて感じ(笑)

    でも、ストーリが良かったし、役者も良かった。
    ヨン様は私の好みではなかったけど、女ったらしのチョン・ウォン(ヨン様)の初恋の人であるユ長官夫人(イ・ミスク)が綺麗。
    イ・ミスクは1960年生まれと言うから、私より2つ上。
    う〜ん。。。負けた。。。(笑)
    カリスマ性がある韓国一の女優と聞くが、本当に気品があって美しいし、演技力もある。
    初めは、ヨン様人気を当て込んだ映画と、あまり期待していなかったのだけど、結構面白かった。
    ストーリーはありきたりのものだけど、役者が良かった。
    結構満足かも。。。
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      スイミング プール
      スイミングプール

      サラ・モートンはイギリスの人気ミステリー作家。
      恋人関係にある出版社の社長ジョンは、彼女に南仏にある自分の別荘に行くことを薦める。
      “自分も後から行く”というジョンの言葉に促されて南仏に行ったサラは、のどかな風景と快適で自由気ままな別荘暮らしの中で久しぶりに創作意欲がわいてくるのを感じた。
      そんなサラの前にジョンの娘ジュリーが現れる。
      昼はプールサイドで寝そべり、夜は行きずりの男たちとsexをするジュリーを疎ましく思うサラ。
      しかし、サラは彼女をモデルにした小説を書くことを思いつく。。。

      監督・脚本は“8人の女たち”のフランソワ・オゾン。
      主演はオゾンの“まぼろし”に主演したシャーロット・ランプリングと、オゾンの“焼け石に水”で注目され、“8人の女たち”にも出演していたリュディヴィーヌ・サニエ。
      オゾンの映画はヒロインが突然脱ぐとか、突然激しいラブシーンとかがお決まりらしい。
      この映画でもランプリングのヌードと、サニエのsexシーンがある。
      でもランプリングのヘアヌードはあまりにも唐突で、意味不明(笑)
      サニエのsexシーンはそんなにエロチックではない。
      寧ろ美しいと言えるほど。
      若い、美しい身体と言うのは、絵になるのね。。。
      ただ、それを見ているサラの嫉妬(?)が怖い。。。

      ミステリーとは言え、最後のドンデン返しには唖然。
      最後の数カットで“え?”と言う感じ。
      “解らない人が大勢いる”と事前に聞いていたけど、私にも解らなかった(^_^;)

      それとなく小さな謎をちりばめ、観客をミスリードしていく。
      これって、“8人の女たち”と同じ手法。
      その手法にまんまと載せられてしまった。。。(^_^;)
      地味だけど、映像はフランス映画らしい綺麗さで、なかなか面白かったよ。

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        白いカラス
        今日の2作目は、白いカラス
        面白かったけど頭がちょっとだけ混乱(?)したハリ・ポタの後に重たい話題。。。
        まぁ、自分で選んで観るのだから、誰にも文句は言えないよね(笑)

        う〜ん。
        ハリ・ポタは画面が暗かったけど、こっちは話が暗い。。。
        始まって15分ぐらいで、ちょっと気を失ってしまった。。。(^^ゞ

        人種差別と言う現実の中に生きるコールマン・シルク(アンソニー・ホプキンス)。
        黒人なのに“白く”生まれたお陰で、黒人である事を隠して生きる。
        “隠して生きる”切欠も辛いのだけど、こういった不条理は、話の舞台になった1980年代だけでなく、現代アメリカでも普通にあるのだと思う。
        映画では表現が薄いと思ったのだけど、コールマンはその秘密が実は心の澱になっている。
        そして、コールマンの若い恋人フォーニア・ファーレイ(ニコール・キッドマン)。
        彼女は彼女で心の澱を持っている。
        2人は、出会った最初から、なんとなく秘密めいた関係。。。
        勿論、2人は恋愛関係にあるのだけど、観ている私には、なんとなく打ち解けない、秘密のある関係が伺える。。。
        見る限り、フォーニアはある一線を越えてコールマンを受け入れていない。
        性的な関係と言う意味ではなく、心の中で一線を引いている感じ。。。

        男と女が出会って恋する。
        それ自身は不思議でもなんでもない。。。ハズ。。。
        私には考えられないけど。。。
        私は父親のような年齢の人は恋愛対象にはならない。
        だからなのか?
        継父に性的虐待を受けたと言う経験を持つフォーニアが、父親の様な年齢差のコールマンを求めた理由が判らない。
        “父親(継父)”を思い出させるような存在は疎ましく無かったのかしら?
        事故で子供を失ったと言うのがコールマンを求めた理由になるのか?
        フォーニアの過去が明らかになっても、私にはフォーニアがコールマンを求めた理由が判らなかった。

        多分、フォーニアはコールマンの中に、自分と同じ“カラス”を見出したのだと思う。

        社会を生き抜く為に自ら選んで行う偽り。その偽りが今度は生きる事の重石になる。
        そして、その根底にある“人種差別”問題に自らを追い詰められるコ−ルマン。。。
        人種差別者として職を終われ、妻を失った。
        そして、実は親や兄弟までも失っていた。。。
        コールマンは“白い”故の“カラス”。

        フォーニアのカラスは籠の鳥。
        野生種にあって、野生の仲間の中では生きられない“カラス”。
        フォーニアのカラスはそういった意味で“白い”と表現しているのだけど、“白い”必要はないんじゃないかと思うのよね。

        私は、2人にとっての“カラス”の意味と重さと質が違うと思う。。。
        質の違うものを一緒に語られると違和感を覚える。。。
        話は違うけど“仕事と私(恋愛)のどちらが大事?”と聞かれるような、一見同じ様だけど、同じ土俵には全くないモノを比較するような質の違い、違和感を感じる。
        原作がピュリッツアー賞作家であると言うフィルターがかかっているのか、或いは、アメリカにとって尤も敏感、センシティブな問題である“人種差別”を扱っているから評判がイイのか?
        私はあまり評価できないな。
        まぁ、もっとも、私は世間的に評判のイイ映画を酷評するというか、あまり“良い”と思えない性癖を持つらしい(苦笑)
        だからなのかな、この映画はあまり評価できる映画ではないと思うのは。
        勿論、ニコール・キッドマンの身体は同じ女性として羨ましいを超える程、素敵で綺麗なモノだったけどね(笑)

        ただ、その(政治的?)目的、意図は感じられた。
        “だれでもなりたいものになれるというのが、アメリカン・ドリームである。それはほんとうか、と『白いカラス』は問いかける。”(青山 南氏)
        この一言に尽きると思う。
        ただ、願わくば、タイトルは現代どおり“Human Stain”(人間の染み)のままが良かったな。。。
        そうすれば、私の違和感は無かったと思う。
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          真珠の耳飾の女
          今日は、 “真珠の耳飾の女”
          スキャンダルを止めて真珠の耳飾の女にしたのは、単に時間の都合だけだったんだけどね(笑)

          フェルメールが“真珠の耳飾の女”の絵を描く物語なんだけど、全体にレンブラントの絵の世界があって綺麗な映画だった(^^)
          オランダの画家の中で、フェメールは私にとっては馴染みの薄い画家だったのだけど、この映画の宣伝と他の方の映画の感想記事をキッカケに少し観るようになった。
          折りしも東京都美術館でフェルメール展をやっている。
          少ししか見ていない中で彼の作品を論ずるのもどうかと思うが、彼の作品の中の女性は日常の中の慎ましい穏やかさの中で、仄かな光の動きと色の調和が丁度いい。
          宗教画とも思えるような崇高さがある。

          フェルメールの作品は35点と言われているが、その中でも、この“真珠の耳飾の女”は印象的な作品であると言える。
          フェルメールの描く人物は何かに没頭している事が多いのだけど、この絵のモデルの少女は、澄んだ大きな瞳(少々媚が入っているような。。。笑)でまっすぐに視線を投げかけている。
          この絵のモデルは、フェルメール自身の娘ではないかと言われて居る。
          この映画では、使用人だったのだけどね(笑)

            絵はこちら(別名『青いターバンの女』)

          映画の主役のスカーレット・ヨハンソンは、なんだかこの絵のモデルになるために存在する役者であるかのような。。。
          滑らかな白い肌と大きな瞳、そして、少々厚く、普段から半開きの唇。
          彼女の肌の美しさと言ったら、絵以上(笑)


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            Chicago
            会社の帰りに、思い立って20年来の思い人に逢いに行った。
            逢うっていっても。。。こちらが一方的に見つめるだけなのだけど(笑)

            そう、リチャード・ギア様の顔を拝みに行ってきた(^_^)
            アカデミー賞に12部門13ノミネートで6部門受賞の「Chicago」、面白かった。
            私的にはリチャード・ギア様がステキと言うだけで大満足なんだけど、それを除いてもとても楽しめる映画だった(^_^)

            舞台は、1920年代のシカゴ。
            スターを夢見、劇場への口利き約束する男と不倫そして騙されたと知って彼を殺してしまうロキシー(レニー・ゼルヴィガー)。
            恋人が妹と浮気をしていることを知って2人を殺した踊り子のヴェルマ(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)。
            そして辣腕弁護士ビリー・フリン(リチャード・ギア)。
            この3人の野望の物語。

            そもそも、この「Chicago」は1975年に初演された同名のブロードウェイ・ミュージカル。
            このミュージカルを作ったボブ・フォッシーは、人間社会の暗部に興味を持つタイプの創作家で、アメリカ演劇界の代表的な振付・演出家でありながら、ブロードウェイの主流を占める恋愛モノのハッピー・ミュージカルは作らず、肉欲、金欲、裏切り、騙し合いなどの暗い部分を描くのが得意。
            彼が、明るい陽のあたる表通りを素通りして、じめじめと暗い裏道に作品の素材を求めたのは、人生の表通りに真実はない、ダークサイドにこそ真実があると信じていたから。。。
            この「Chicago」にも彼のそのような体質、主張が反映していると言われている。

            でも、さすがにブロードウェイ・ミュージカル。
            退廃も人間の暗部も一種華やかさの中に描かれているから、娯楽としてはとても楽しい。
            そしてこの映画が映画として良いのは、ゼタ=ジョーンズを始めとする俳優の巧さや、ルーシー・リューをちょい役に使う贅沢さもあるのだけど、歌と踊りの構成、そしてそれらの魅力を余すことなく納めたカメラワークがイイ。
            とっても満足(^_^)

            こういう、気分の落ち込んだ時は、何も考えなくて楽しめる、“The Hollywood”って感じの映画って良いね(^_^)

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              戦場のピアニスト
              戦場のピアニストを見てきた。

              う〜ん。
              正直言って、いい映画なのか、そうでないのか判らなかった。

              ネタバレになるから、これから観に行かれる予定の方はこの先を読まないほうがイイと思います(笑)

              映画では、戦争の残酷さや悲惨さ、そして狂気が淡々と描かれている。
              監督自身がユダヤ人で、ゲットーで生活し、逃げ、ドイツ軍人に助けられ生き延びた経験を持つ。
              そういった生い立ちを持ったからこそ、淡々と描きたかったのかもしれない。
              淡々と描くことで、事実を事実として伝えたかったのかもしれない。
              でも、その淡白さが私には物足りなかったのかも。
              記録フィルムを見ているようで、映画を見ているような感覚が持てなかった。
              私自身、この映画に何を期待していたのか良く解らないのだけど。。。(苦笑)

              記録フィルムの様に思えたのは、主人公自身が戦争や自分の置かれている環境に淡白だったからかもしれない。
              勿論、自身の生き死にが切羽詰った環境では、他人が目の前で殺されようが構っては居られないと言うのは理解できる。
              理解はできるのだけど。。。
              あまりに淡白すぎると感じるのだ。
              目の前で繰り広げられるユダヤ人の蜂起に対しても、そして、自分自身の生き死にに対しても。

              いや、彼は自分の生き死にには懸命だったと、言われる方も居るだろうが、
              私には、かなり淡白に見えた。
              何故?

              ゲットーを抜けた後の隠れ家で、自身の身に危険が生じて支援者が逃げようとした時、自分はここに残りたいと言った。
              自分で食料の調達も出来ない身で残っていつまで生きられるというのか?
              座って餓死するのを待つだけじゃないのか?
              最初の隠れ家は、食料が無くなって、それでも何かあればと家捜ししている内に隣人に見つかってしまう。
              次の隠れ家でもやはり支援者がワルシャワを離れる時に隠れ家に残った。
              この時は自分が病気だったから仕方がなかったのかもしれないが、
              ドアは外から鍵をかけられたままで、逃げる道を確保していたわけではない。
              そうなれば、食料が無くなればやはり餓死するしかない。

              色々な幸運が重なって生き延びる事はできるが、彼が生きる事に一生懸命だったようには思えないのだ。
              最後のそして一番大きな幸運は、ドイツ軍将校ホーゼンフェルトに出会った事。
              ユダヤ人を匿い続ける事は、彼自身にとっても大きなリスクだったろうに。。。
              ある意味、本当に主人公を助けたのは彼だけだったかもしれない。
              それ以前に主人公を助けたポーランド人の支援者たちは、自身に危険が迫った段階で彼を見捨てたに近い。
              ある人は、“見つかったら捕まらずに死ね”と彼に言い、ある人は隠れ家からの唯一の逃げ口に外から鍵をかけていた。
              それは、自身の危険を考えると仕方が無いことで、許されない事ではないとは思うのだが。

              ホーゼンフェルトは何故彼を助けたのかな?
              彼のピアノに感動したから?
              そうは思えないのだけど。。。
              もし、そうだとしたら、本当に“芸は身を助く”なんだね。
              何年もピアノに触っていなかったのに、滑らかな指捌きで他人を感動させる演奏が出来る。
              高名なピアニストだからこそなんだろうけど。。。
              (昔、ピアノを習っていたとき、1週間も練習をサボると全く指が動かなかった。。。)
              助けた直後のシーンで、ホーゼンフェルトの家族の写真が映っていたのは何を暗示していたのだろうか?
              その辺りがもう少し描かれていたらよかったな。

              そして、ドイツ軍がソ連軍に投降した後、ホーゼンフェルトがユダヤ人音楽家に命乞いしたのは興ざめ。
              軍人が命乞いなんて本当にしたのかな?
              シュピルマン(主人公)が名前を聞いた時に、“命を助けたのは神の意思”と言い、自身の生死も“神の意思”と言ったホーゼンフェルトが本当に“助けて”と言ったのかなぁ
              そうは、思えないのだけど。。。

              さらに、シュピルマンがホーゼンフェルトを探すことに淡白だったのも納得がいかない。。。
              実際はかなり一生懸命に探したらしいのだが、映画ではそこまで描かれていない。
              1952年にソ連の収容所で亡くなったとのテロップだけ。
              なんだかな。
              その辺りに監督の意思があるのかなぁ。。。


              確かに、この映画を観て“戦争”を肯定する気持ちを持つ人は居ないだろう。
              そういった意味では、良い反戦の映画だと思うし、こういう世界情勢だからこそ意義のある映画なんだろうと思う。

              以前、映画関係の日記を書かれている方が半日位してじわーと効いて来るって評していたので、私にもその内効いて来るのかもしれない(^^ゞ


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