ネタバレありの映画鑑賞記録です。ネタバレの嫌いな方はご注意下さい。
映画が中心ですが、一部演劇、ミュージカルもあります。

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白いカラス
今日の2作目は、白いカラス
面白かったけど頭がちょっとだけ混乱(?)したハリ・ポタの後に重たい話題。。。
まぁ、自分で選んで観るのだから、誰にも文句は言えないよね(笑)

う〜ん。
ハリ・ポタは画面が暗かったけど、こっちは話が暗い。。。
始まって15分ぐらいで、ちょっと気を失ってしまった。。。(^^ゞ

人種差別と言う現実の中に生きるコールマン・シルク(アンソニー・ホプキンス)。
黒人なのに“白く”生まれたお陰で、黒人である事を隠して生きる。
“隠して生きる”切欠も辛いのだけど、こういった不条理は、話の舞台になった1980年代だけでなく、現代アメリカでも普通にあるのだと思う。
映画では表現が薄いと思ったのだけど、コールマンはその秘密が実は心の澱になっている。
そして、コールマンの若い恋人フォーニア・ファーレイ(ニコール・キッドマン)。
彼女は彼女で心の澱を持っている。
2人は、出会った最初から、なんとなく秘密めいた関係。。。
勿論、2人は恋愛関係にあるのだけど、観ている私には、なんとなく打ち解けない、秘密のある関係が伺える。。。
見る限り、フォーニアはある一線を越えてコールマンを受け入れていない。
性的な関係と言う意味ではなく、心の中で一線を引いている感じ。。。

男と女が出会って恋する。
それ自身は不思議でもなんでもない。。。ハズ。。。
私には考えられないけど。。。
私は父親のような年齢の人は恋愛対象にはならない。
だからなのか?
継父に性的虐待を受けたと言う経験を持つフォーニアが、父親の様な年齢差のコールマンを求めた理由が判らない。
“父親(継父)”を思い出させるような存在は疎ましく無かったのかしら?
事故で子供を失ったと言うのがコールマンを求めた理由になるのか?
フォーニアの過去が明らかになっても、私にはフォーニアがコールマンを求めた理由が判らなかった。

多分、フォーニアはコールマンの中に、自分と同じ“カラス”を見出したのだと思う。

社会を生き抜く為に自ら選んで行う偽り。その偽りが今度は生きる事の重石になる。
そして、その根底にある“人種差別”問題に自らを追い詰められるコ−ルマン。。。
人種差別者として職を終われ、妻を失った。
そして、実は親や兄弟までも失っていた。。。
コールマンは“白い”故の“カラス”。

フォーニアのカラスは籠の鳥。
野生種にあって、野生の仲間の中では生きられない“カラス”。
フォーニアのカラスはそういった意味で“白い”と表現しているのだけど、“白い”必要はないんじゃないかと思うのよね。

私は、2人にとっての“カラス”の意味と重さと質が違うと思う。。。
質の違うものを一緒に語られると違和感を覚える。。。
話は違うけど“仕事と私(恋愛)のどちらが大事?”と聞かれるような、一見同じ様だけど、同じ土俵には全くないモノを比較するような質の違い、違和感を感じる。
原作がピュリッツアー賞作家であると言うフィルターがかかっているのか、或いは、アメリカにとって尤も敏感、センシティブな問題である“人種差別”を扱っているから評判がイイのか?
私はあまり評価できないな。
まぁ、もっとも、私は世間的に評判のイイ映画を酷評するというか、あまり“良い”と思えない性癖を持つらしい(苦笑)
だからなのかな、この映画はあまり評価できる映画ではないと思うのは。
勿論、ニコール・キッドマンの身体は同じ女性として羨ましいを超える程、素敵で綺麗なモノだったけどね(笑)

ただ、その(政治的?)目的、意図は感じられた。
“だれでもなりたいものになれるというのが、アメリカン・ドリームである。それはほんとうか、と『白いカラス』は問いかける。”(青山 南氏)
この一言に尽きると思う。
ただ、願わくば、タイトルは現代どおり“Human Stain”(人間の染み)のままが良かったな。。。
そうすれば、私の違和感は無かったと思う。
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